幼き日の自分へ
昨晩、携帯の説明書を読んでいるうちに、何故だかとても悲しい感覚に見舞われました。
僕はいつの間に、あの頃の心を失ってしまったのだろうかと。
あれは小学3年生の夏休み―
ある日、さっちゃんという同級生が、新しい腕時計をしてうちへ遊びに来ました。
「なにこの時計!?すげ~!!」
その時計は、カレンダー、ストップウォッチ、アラームなどといった機能が付いており
簡単なブロック崩しのようなゲームをする事ができました。
また、ボタンを押せばライトが光り、暗闇でも時間を確認する事もできました。
別に、当時の最先端の技術というわけではなかったとは思いますが
まだ9歳の僕には、ものすごいハイテクな機器に見えましたし
同級生のうち、もっとも裕福な家庭の子であった彼くらいしか持てないような、かなり高価な時計であるという事もすぐに理解できました。
僕の目には、その時計がまるで、未来の世界から届けられた「夢の機械」のように映り
さっちゃんの事がうらやましくて仕方ありませんでした。
当時、「ゲームウォッチ」という携帯ゲームが流行っていて
ゲームと時計が一緒になっているような端末は決して珍しくはありませんでした。
ですが、ゲームウォッチは、大きなゲーム機の中に時計が付いているだけ。
小さな時計に、ゲームを始め様々な機能が付属されてるのとでは大違いです。
子供ながらに、その部分にすごく魅力を感じたのです。
少年が、漫画やアニメに出てくる秘密のスパイグッズみたいなものに憧れるような感覚と言えば分かりやすいでしょうか。
しばらくして、僕はおばあちゃんの家に泊まりに行きました。
その時、叔父に対しさっちゃんの時計の話をすると、叔父は引き出しから腕時計を取り出し
それを僕に渡してくれました。
ちょうど叔父は、誰かからこの時計を貰ったばかりであると。
しかし、僕がそんなにさっちゃんの事をうらやましく思うのなら、この時計を持って帰ってもいいぞという事でした。
銀色の、大きく重い腕時計。
子供の腕に似合うような時計ではありませんでしたが、飛び上がって喜んだものです。
さっちゃんが持っていたものとは違い、残念ながらゲームの機能は付いていませんでしたが
時間だけではなく日付や曜日を見る事ができ、また、ボタンを押せばライトが点灯しました。
僕は嬉しくて嬉しくて、何度も何度も今日の日付を確認したり
暗い場所でライトを照らして時刻を確認しました。
その日の夜は、叔父と一緒に山にカブト虫を捕りに行きましたが
ちょくちょく時計のボタンを押しては「うむ、今は○時○分だ」などと言って
叔父に苦笑いをされていました。
特に僕は、夏休みの夜は、ほぼ毎日山や海に通っていたものですから
いちいち懐中電灯で照らさずとも時間が分かるというのは非常に便利で
何か自分が魔法のアイテムでも手に入れたような気持ちでいました。
これさえあれば、いつ、どこへだって行ける。
この時計は、心強い冒険のパートナーであると。
あの日から20数年―
時代は大きく変わりました。
「便利すぎる」という言葉が当たり前の世の中に。
現在、僕の手元には「携帯電話」という恐るべき機能が備わった端末があります。
それは、さっちゃんの腕時計の何十倍、何百倍も優れた機械。
電話ができ、テレビ電話ができ、メッセージが送れ、時間や日付を確認でき、アラームが鳴り、写真が撮れ、ネットができ、地図が見れ、ゲームができ、音楽が聴ける。
また、説明書を読むまで気付きませんでしたが、動画、録音、辞書、路線図、メモ帳などの機能も付いています。
例えデフォルトで入っていなくても、ネットよりダウンロードすれば、ありとあらゆる機能を手に入れる事もできるでしょう。
あの頃には想像する事すらできなかった、まさに「夢の機械」
それが今、自分の目の前にあるのです。
もし、エイプリルフールの「タイムマシン完成」の話が本当に実現し
この携帯を、あの日の自分に渡す事ができるのなら・・・
きっと、9歳の僕は、目を輝かせながら1日中携帯を触っているはず。
山に行けば、カブト虫やクワガタの写真、あるいは動画を撮影し
友達にメールで送っているでしょう。
海に釣りに行けば、魚が掛かるまで、音楽を聴いたりゲームで遊んだりしているでしょう。
知らない場所に行けば、地図を見ながら、ネットで現在地の情報を確認しながら
先へと進んで行っているでしょう。
ところが、今の僕は・・・
12年間、1度も説明書を読む事なく、せっかくの機械を全くの無駄にしてきました。
「これはいらない」「この機能も不要だから読まなくても良い」と
説明書のページを飛ばし飛ばし捲っていくうちに、徐々に幼い頃の記憶が蘇ってきて・・・
「そんな便利ですごい機械持っとるのになんで使わんの?オレは欲しくても手に入れる事ができんのに・・・もったいないよ」って、過去の世界から声が聞こえてきたような気がして
なんだか、9歳の頃の自分に対し、とても申し訳ないという気持ちになりました。
できる事なら、今すぐ9歳の僕に携帯を渡してあげたい。
彼ならきっと、この夢の機械を自在に操り、これまでよりも何倍も充実した毎日を送る事ができるはず。
僕にとっては単なる携帯電話でしかないのですが、昔の自分にとっては、宝物以上の宝物であるに違いないのですから。
でも、それは残念ながら不可能な話です。
だから、僕は思いました。
では、今の僕が代わりに使ってあげよう。
僕自身の心を、あの頃にタイムスリップさせて。
必要のないものを無理に使おうなんて事は考えていませんが
興味が無いからだとか、説明書を読むのがめんどくさいからだとか言わずに
もう一度、この携帯という「夢の機械」を見詰め直してみようじゃないかと思います。
「感動」という、とても大切なものを見失っていた僕ですが
そうすれば、何か新しい世界が見えてくるかもしれません。
これさえあれば、いつ、どこへだって行けると。
この携帯は、心強い冒険のパートナーであると。
僕の代わりに、この僕が言ってあげたい。
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